夢と安全を乗せて:インフレータブルボート黎明期からのジョイクラフトの挑戦
記:ジョイクラフト株式会社 代表取締役 郡山紘一
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日本のエンジン付きインフレータブルボート4つの転機
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ヨーロッパで誕生した「軍用」の歴史
インフレータブルボート(通称:ゴムボート)の歴史を紐解くと、その起源は第二次世界大戦中のヨーロッパにあります。
初期では、主に水上での輸送や救助を目的とした軍用として発展。中心となっていたのは、当時フランスのメーカーだったゾディアック(Zodiac)社やドイツのメッツェラー(Metzeler)社です。
なかでもゾディアック社は、その軍事技術を一般レジャー向けに転用し、普及・開発の中核を担いました。
当時は「ゾディアック」という名称がエンジン付きインフレータブルボートの代名詞として使われるほどの影響力を持っていたのです。
一方で、当時のボートは底面も空気体のチューブで構成された柔らかいボートが主流。現在では一般的である、船底に剛性を持たせる組み立て式の底板はまだ存在していませんでした。
日本独自の進化とメーカーの挑戦
日本におけるインフレータブルボート生産の幕開けは、1960年代初頭。ヨーロッパのバイヤーに求められた輸出がきっかけです。
当時、大量に製造・輸出されていたレインコート(雨衣)の製造装置、すなわち「ゴム引布の製造装置」を応用し、アキレス(旧:興国化学工業)、オカモト(旧・岡本理研工業株式会社)、藤倉ゴム工業、東洋ゴム(旧:東洋ゴム工業株式会社)といったメーカーが一斉に製造・販売を手掛けるようになりました。
ちなみに、国内での普及は海水浴場でのレジャーがきっかけです。「泳ぐ・浮き輪で浮く」だけではない、新しい水遊びのツールとして広がり、特に黄色い1~2人用のレンタルゴムボートは、当時の都会の若者にとって浜辺でのちょっとしたステータスアイテムだったと記憶しています。
ちなみに、この黄色いレンタルボートが流行っていた時代には、この種のボートは「ゴムボート」という、少々蔑称めいた呼び方をされていました。
釣りマーケットの夜明けと技術革新
しかし、日本国内でゴムボートにエンジンを取り付けるという発想は、1960年代頃までほとんどありませんでした。
この流れを変えたのが、モータリゼーションの発展です。車でボートを運べるようになったことで、1970年代後半には沖に出るためのツールとして、手漕ぎのローイングボートが釣り人たちに脚光を浴び始めます。
「岸から100メートル沖に出るだけで、釣果が変わる」と、皆がインフレータブルボートの新たな可能性に気づいたのですね。
ヨーロッパ輸出用ボートに4~5馬力のエンジンを付けて水上で使用するニーズが高まると、日本の各社が競うようにエンジン付きボートの開発に取り組みます。
この結果、船底に剛性を持たせる組み立て式底板が開発され、現在のエンジン付きインフレータブルボートの礎が築かれました。
なお、1985年頃まで、日本の大手メーカーは製造したボートを比較的高品質かつ安価なものとして、ヨーロッパ市場へ多量に輸出していました。
しかし、ヨーロッパ市場が徐々に「安価なもの」から「高価でも高性能なもの」へと価値観をシフトさせていく中で、日本のメーカーは市場の変化に対応しきれなくなります。
結果、アキレス社以外の多くの企業がインフレータブルボート市場から順次撤退するという時代を迎えることになりました。
また、「インフレータブルボート」という正式名称が日本国内で広く知られるようになったのも、この頃です。
アキレスをはじめとするメーカーが日本の釣り業界にインフレータブルボートを本格的に広めたことで、結果として「ゴムボート」という蔑称が使われる機会は大きく減っていきました。(今でも使われることはありますが、これは単なるレジャーグッズから安全で信頼性の高いマリンアイテムへと、インフレータブルボートの地位が向上した証といえるでしょう。)
剛性との闘い、アメリカでの技術革新
私・郡山がアキレス社(旧:興国化学工業株式会社)に在籍していた当時、直面したのが、まさにこの「技術の壁」でした。
1975年、これまで実績のなかったUSAマーケットへの進出を目指し、高性能化したヨーロッパ向けエンジン付きボートの技術を引っ提げて、私は35歳でアメリカへ派遣されます。
渡米してすぐに痛感したのは、日本で高性能を誇っていた自慢のボートがUSAマーケットでは全く通用しなかったことです。
素材や構造、船型などの限界で剛性が低いために、大きなエンジンを取り付けた状態で高速になると危険が伴う。USA市場の常識では、私たちが持っていったボートでは「とてもじゃないが売ることはできない」と痛感させられました。
そこで私は、アキレス本社に1シーズンの販売休止を要請し、徹底的な改善・開発に取り組むことにしました。専門家や大学と連携を取りながら、ボートの剛性強化と船型の開発、安全性の向上に心血を注いだのです。
そのかいあって、1977年にはUSAマーケットのゾディアック、エイボンなどのボートに勝るとも劣らない、高性能のアキレスボートが完成しました。
USAで胸を張って販売できる商品を仕上げたこの経験と技術こそが、今日の日本のインフレータブルボート、すなわちアキレス、そしてジョイクラフトの地位を確立したといえるのではないでしょうか。あの頃の、まさに「闘い」のような日々が、まるで昨日のことのように思い出されます。
ジョイクラフトが目指す「最高の安心」と「無駄のない設計」
アメリカから帰国後、日本のマーケットで約10年を過ごす中で私は一つの大きな転機を迎えます。それは1992年に、アキレスがトーハツエンジンとのセット販売を開始し、釣具屋やホームセンターでエンジン付きボートが購入できるようになったことです。
当時、ボート用のエンジンは専門知識を持つボート専門店でのみ販売が可能で、釣具屋などでの取り扱いはほとんどありませんでした。
釣り人にとって身近な釣具屋でエンジン付きボートを入手できるようになったことは非常に画期的な取り組みであったため、エンジン付きインフレータブルボートが一気に一般市場へ広がります。
その勢いはすさまじく、3年後の1995年には、アキレス社だけでエンジンがつけられるボートが約3000艘。エンジンとセットの商品だけでも2.5馬力が約800、5馬力は約200もの数を販売しました(と記憶しています)。
ちなみにローボートは、アキレスだけで3万艘売れました。業界全体ではおそらく約5万艘売れていたと思われる、まさにインフレータブルボート業界のピークでした。このような時代があったことに、改めて驚きを覚えますね。
その後、長年の開発経験をもとに「日本独自の【釣りマーケット】に適合する、軽量・コンパクト・高性能なボートを作りたい」「日本のユーザーにとってフレンドリーなインフレータブルボートを広めたい」という熱意をもって、1998年に私が立ち上げたのが、ジョイクラフト社です。
初心者にこそ高性能なボートを使ってほしい
インフレータブルボートには多種多様なモデルがありますが、なかでも免許不要で楽しめる2馬力艇は、初心者の方にも心からおすすめできるボートです。
現在のジョイクラフトの2馬力艇は、免許・検査不要で扱えるようになった2005年当時の5馬力艇に勝るとも劣らない性能を備えており、私たちはこの技術に絶対の自信を持っています。
なお、ジョイクラフトのスモールボートは、一般的に安価で構造が簡単な「初心者用」とされるボートとは一線を画しています。
なぜなら、ベテランは経験と勘で万が一に対応できますが、初心者はそうはいきません。
その時、高性能なボートを使用していれば、ある程度の問題には対処しやすくなります。ジョイクラフトの2馬力艇は、6馬力から15馬力までの設計承認艇(小型船舶検査機構)をベースにして提供しています。
初心者にこそ、このように安全で高性能な2馬力艇を選んでいただきたいと考えています。
ジョイクラフトボートはすべて個性的なため、きっとあなたにぴったりのものが見つかるはずです。ぜひ自分好みの1艇を探してみてください。
「無駄のない設計」に込めた造船工学の知恵
もちろん私たちが追及しているのは性能の高さだけではありません。
ジョイクラフトのボートはすべて造船工学に裏打ちされた設計に基づき、「無駄のない設計」を徹底しています。造船工学の知識を活かすことで水の抵抗が最小限に抑えられ、船体が安定し、安全に航行できる「船」としての本質的な性能を確保。
さらに、長年の開発の結晶として、多くの特許や意匠登録も取得しており、技術的な優位性にも自信を持っています。
※2025年度版の製品カタログはこちらからご覧いただけます。(画像をクリックでも開きます)
インフレータブルボートの黎明期から安全で楽しいボートを追い求めてきた私たちの挑戦は、これからも続きます。
シンプルでありながら美しいフォルムは、長年ボート開発に携わってきた私たちだからこそ実現できる、安全性とデザインを両立した証です。
もし今、「より安心して楽しめるインフレータブルボートはないか」「歴史と実績に基づいた商品が欲しい」とお考えでしたら、ぜひ最高の安心と楽しさが詰まったジョイクラフトのボートをご検討いただければ幸いです。